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柳条湖事件

日中15年戦争の始まり

1931(昭和6)年9月18日に瀋陽(当時は奉天)北方75キロにある柳条湖で起こった鉄道爆破事件。ここには日本が所有する南満州鉄道が敷設されていた。事件は9月18日午後10時過ぎに発生した。当時中国に派遣されていた関東軍は、この鉄道爆破事件は中国軍の犯行であるとし直ちに瀋陽の中国軍を攻撃し、更には鉄道沿線の主要都市の占領を行った。しかしこの事件は、実際には関東軍が計画的に仕組んだ謀略事件であった。

政府は事件の不拡大方針を取ろうとしたが、満洲占領を目指す陸軍、関東軍の動きを抑えることが出来ず、1932年3月、元清朝皇帝の宣統帝(愛新覚羅溥儀)を執政とする「満州国」の建国へと突き進んだ。この政権は事実上日本の傀儡政権であった。

このような日本の動きに対して中国政府は国際連盟に提訴したが、国際連盟は何ら有効な手段を打ち出せなかった。中国民衆の怒りは高まり「抗日救国」運動は中国全土に広がった。
皮肉なことに「柳条湖事件」は、中国民衆に毎年9月18日を「国恥記念日」として認識させ、「一致抗日」で団結させることになった。

現在瀋陽市には「柳条湖事件」を紹介する大きな記念館が出来ている。建物正面の壁には「1931年9月18日、星期5」と黒々と刻まれている。この記念館では毎年9月18日には「勿忘“九・一八”大会」が開催されている。2001年9月18日、日本中国友好協会大分支部は「柳条湖事件70周年記念講演会」に参加した。講演会の会場には「歴史を鑑とし、未来に向かおう」のスローガンが表記されていた。