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大分県の戦争遺跡

この資料は、大分県文化財保存協議会発行の「おおいたの戦争遺跡」(2005年発行)と写真は神戸輝夫さん(同会会長)提供により構成してます。

大分県は、九州の東北部に位置し、豊後水道に面しています。従って豊後水道域に設置された豐予要塞を中心として、県北から県南に至るまで陸、海軍の重要施設が多く設置され、国防上の一拠点ともなりました。それだけに県内に残された「戦争遺跡」は多数に上っていました。しかし戦後の復興事業や「列島改造」の嵐の中で、戦争に関わる施設は取り壊され、辛うじて残ったものも消滅の危機にあります。また戦争体験者に戦争の惨禍を証言してもらい、平和の尊さを訴える「語り部」の活動は関係者の高齢化と相まって年とともに難しくなってきました。

「戦争遺跡」を記録する意義は、
1、戦争を体験した人達が少なくなったので、戦争のことを話してくれる人がいなくなっている。
2、地域に残っている戦争に関係した物を見て、戦争について考える資料とする。
3、大分県も戦争に重要な役割を果たした時代があったことを知る。
4、戦争遺跡から戦争について学び、平和の大切さ、平和を守ることの大切さを知る。

戦争遺跡の対象とする時期は1931(昭和6)年9月18日の柳条湖事件(「満州事変」)から1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件(「支那事変」)を挟んで1945(昭和20)年8月15日太平洋戦争終結までの時期いわゆる「15年戦争」時期であり地域は大分県に限定しています。

大分県にあった海軍、陸軍の施設をしめした新聞記事(大分合同新聞2005年8月16日)

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