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第24回 平和のための戦争展

ドキュメンタリー映画「抗い」上映と講演会

◎日時:10月15日(日)14:00〜(開場13:30)

◎会場:ホルトホール大分3F大会議室

◎映画:ドキュメンタリー映画「抗い」上映会

出演:林えいだい
朗読:田中泯
監督:西嶋真司 

◎映画終了後、映画監督西嶋真司氏のトークを行います

◎入場料:一般500円、中学生以下無料

∞∞ 映画『抗いー記録作家 林えいだいー』に寄せて ∞∞

福岡アジア文化センター所長・大分大学名誉教授
森川 登美江

林えいだいは孤高の記録作家である。
筑豊にいて、ひとりこつこつと、
あたかも暗闇で岩盤を穿つように、
日本の負の歴史をペンで切り拓いてきた。
炭鉱産業と朝鮮人強制労働、
無告の民の戦争秘史、
ひたすら聞き続けて四十六年。
その驚嘆すべき苦闘と持続の成果を、
この映画が見事に復元した。

これは著名なルポライター、蒲田慧氏が「抗い」の公式パンフレットに寄せた文章である。わずか9行の中にえいだいの業績と人生が見事に凝縮されていて私は思わずうなってしまった。

本作は、RKB毎日放送ディレクターの西嶋真司氏が、えいだいと他の番組を制作する中で「えいだい」その人に魅了され、ついに彼に密着してその姿を追い、映画化したものである。封切り以来、各地で大きな感動を呼び起こしている。

えいだいは1933年、炭鉱で賑わう筑豊の、奈良時代から続くお宮の神主の子として成長した。父、寅治はシベリア出兵の際「この戦争はおかしいのじゃないか」と言ったため零下40度のなか重営倉に入れられ、凍傷にかかって足の指がなく、夏でも白足袋を履いていた

戦時中、朝鮮半島から強制連行されてきた朝鮮人が大勢筑豊の炭鉱で働かされていた。彼らは落盤事故などの恐怖や過酷な労働、故郷恋しさに山越えして林家の神社にも逃げてきた。彼らをえいだいの両親は自宅に匿い、傷が癒えると逃がしてやった。出征兵士の壮行会の日、寅治は「お前たちは必ず故郷の妻子のもとに帰ってこい。無駄死にしてはならないぞ」と言った。その夜、特高に逮捕され激しい拷問を受けてまもなく死亡した。葬式を出すことさえ許されなかった。えいだいが小学4年生の時である。

時の権力の仕組みは分からないまでも、両親の生き方は 私に強い影響を与えた。考えてみれば私は「国賊」、「非 国民」の子である。戦争にこだわり、異国の地で犠牲にな った朝鮮人、中国人に思いを馳せて、記録し続ける理由 はここにある。(『夜香花』より)

えいだいが半世紀をささげて書き上げた著書は60冊近く。

私は20年以上、彼の間近で仕事ぶりを見てきたが、そのどれもが徹底した取材に裏打ちされ、読者の胸を打つ。がん治療で動かなくなった指に愛用の万年筆をセロテープで巻きつけ原稿用紙に向かう姿には粛然として頭を下げざるを得ない。この三月には喉頭がんの手術で彼は声を失い、今は筆談に頼っている。まさに満身創痍で力を振り絞っているのだ。

 

再び戦争の足音が忍び寄っている現在だからこそ、「権力に捨てられた民、忘れられた民の姿を記録していくことが、私の使命である」と訴える「記録作家林えいだい」の「抗い」を是非とも多くの方に見てほしいと切に願っている。

<林えいだいプロフィール>
1933年12月4日、福岡県香春町生まれ。ありらん文庫主宰。 早稲田大学時代、足尾銅山鉱毒事件に政治家生命をかけて取り組んだ田中正造の生き方に強く影響を受ける。 大学を中退し帰郷。北九州市教育委員会に勤める傍ら、地域の婦人会と北九州市の公害問題に取り組み、37歳で退職、記録作家となる。 徹底した聞き取り調査により、朝鮮人強制連行、差別問題、特攻隊の実相など、人々を苦しめた歴史的事実の闇を追求し続けている。 記録作家としての活動が、『朝日新聞』夕刊連載の「ジャーナリズム列伝」(2011年6月29日ー2011年7月29日)などで紹介された。 読売教育賞(1967年)、朝日・明るい社会賞(1969)、青丘出版文化賞(1990年)、平和・協同ジャーナリスト基金賞(2007年)ほか受賞。(「抗い」公式ホームページより
<西嶋真司監督プロフィール>
1981年RKB 毎日放送入社。1991年から1994年までソウル特派員。
現在は番組制作部門に所属し、「コタ・バル〜伝えられなかった戦争」(2011)、「嗣治からの手紙〜画家はなぜ戦争を描いたのか」(2014)など戦争を中心とするドキュメンタリー番組を製作。(「抗い」公式ホームページより

<映画公式サイト>http://aragai-info.net/kaisetu/index.html

<映画予告編>